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【古城見聞録】現存12天守 彦根城(滋賀県彦根市)

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 佐和山城に入ることを嫌った井伊直政は、新たに彦根城の築城を計画していたが、合戦での傷がもとで、慶長7年(1602)佐和山城にて逝去。長男の直継が家督を継いだ。
 彦根は、中山道と北国街道が合流し琵琶湖水運も発達した日本の東西交通の要衝に位置していた。その重要性を鑑みた徳川家康は、彦根城の築城を急がせた。そして、7カ国12大名に城普請(慶長普請)を命じ、慶長9年(1604)城の建設と城下の整備が始まった。
 彦根山の周囲は、湖岸の低湿地のため工事が難航したが、大津城から天守、佐和山城から佐和口多門櫓、長浜城から天秤櫓、小谷城から西の丸三重櫓などを移築し突貫工事で進められ、2年後の慶長11年(1606)鐘の丸の完成を機に直継が入城し、同年中に天守も完成した。
 慶長19〜同20年(1614〜15)に勃発した、大坂冬の陣・大坂夏の陣によって、彦根城の築城は一時中断。元和元年(1615)城普請(元和普請)が再開され、御櫓・黒鉄門などの御門、高石垣、外堀などの整備が進み、元和8年(1622)すべての工事が完了し、ここに彦根城が完成した。

「日本の城完全ガイド(晋遊舎)」より

彦根城 概要

名称 彦根城
所在地滋賀県彦根市金亀町1-1
別名 金亀城(こんきじょう)
城郭構造平山城
天守構造三層複合式
築城主井伊直継、直孝
築城年1622年
主な城主井伊家