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【古城見聞録】現存12天守 松江城(島根県松江市)

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 関ヶ原合戦で戦功をあげた堀尾吉晴と忠氏父子が、出雲と隠岐領国を拝領し、月山富田城を経て松江を城地とした。慶長9年(1604)、初代松江藩主忠氏が早世し、家督は吉晴の孫忠晴が継ぐ。城普請の名人として名高かった吉晴は、若かった忠晴を補佐し城下町の整備と松江城の築城を急ぎ、慶長16年(1611)松山城は完成した。
 松江の礎を築いた吉晴は、松江城完成の年に死去し、忠晴には嗣子がいなかったことから堀尾氏は改易となり、京極忠高に引き継がれる。忠高は、度々洪水で氾濫した斐伊川の土手を改修する治水事業を行った。また、三の丸の造営に尽力し松江城をほぼ完成させ、幕府領だった岩見銀山の監督権を得るなど、わずか3年足らずではあったが、松江の発展に貢献した。忠高にも跡継ぎがいなかったため、松平直政が信濃国松本より転封。以後、10代230年以上にわたり、松平氏統治の時代が続いた。

「日本の城完全ガイド(晋遊舎)」より

名称 松江城
所在地島根県松江市殿町1-5
別名 千鳥城
城郭構造輪郭連郭複合式平山城
天守構造複合式望楼型 4重5階地下1階(木造 1607年築 現存)
築城主堀尾忠氏
築城年1611年
主な城主堀尾氏、京極氏、雲州松平家