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【古城見聞録】現存12天守 姫路城(兵庫県姫路市)

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元弘3年(1333)、赤松則村(円心)が、姫山に砦を築く。これが姫路城の始まりとされる。姫路城が歴史の表舞台に登場するのは、羽柴秀吉「中国大返し」の逸話で知られる、天正10年(1580)の備中高松城の戦いである。天正5年(1577)に秀吉が播磨に着任した際、城代だった黒田孝高(官兵衛)から姫路城を献上され、新たに天守を築いた。当時の城は三重で黒漆の板壁天守で、現在の天守の姿とは全く異なるものだった。
 徳川氏の治世になり、池田輝政が岐阜城攻略の軍功により播磨姫路52万石に加増移封され、慶長5年(1600)、姫路城の城主となる。輝正は、翌年から9年の歳月をかけて城の大改修を行い、五重六階地下一階の大天守を築いた。
 元和3年(1617)池田氏に代わり徳川家康四天王の一人本多忠政が城主となり、三の丸や西の丸などを築いた。忠政の嫡男忠刻が豊臣秀頼の正室千姫と夫婦となり、姫路城で暮らした。三の丸は「武蔵野御殿」と呼ばれ千姫の住まいとなった屋敷で、西の丸長局より男山を拝んだとされる「化粧櫓」も千姫ゆかりの建物である。
 こうして、名だたる戦国武将の居城として歴史の転換期を見つめならが、優美にして壮大な白鷺城の全容が整っていった。


「日本の城完全ガイド(晋遊舎)」より

名称姫路城
所在地兵庫県姫路市本町68
別名白鷺城
城郭構造渦郭式平山城
天守構造3重3階(1580年築)
連立式望楼型/5重6階地下1階(1608年築)
築城主赤松則村
築城年1346年(天正元年)
主な城主小寺氏・黒田氏、池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏
指定文化財国宝、世界文化遺産