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【おくのほそ道見聞録】末の松山・塩竈 5月8日[新暦6月24日]

そ れより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山といふ。末の間々皆墓原にて、翼を交はし枝を連ぬる契りの末も、つひにはかくのごときと、 悲しさもまさりて、塩竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨の空いささか晴れて、夕月夜幽かに、籬が島もほど近し。蜑の小舟を漕ぎ連れて、肴分かつ声々に「つなでかなしも」とよみけん心も知られて、いとどあはれなり。その夜、目盲法師の、琵琶を鳴らして、奥浄瑠璃といふものを語る。平家にもあらず、舞にもあら ず、ひなびたる調子うち上げて、枕近うかしましけれど、さすがに辺国の遺風忘れざるものから、殊勝におぼえらる。

早朝、塩竈の明神に詣づ。国守再興せられて、宮柱ふとしく、彩椽きらびやかに、石の階九仞に重なり、朝日の朱の玉垣をかかやす。かかる道の果て、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそわが国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈あり。鉄の扉の面に「文治三年和泉三郎寄進」とあり。五百年来の俤、今目の前に浮かびて、そぞろに珍し。かれは勇義忠孝の士なり。佳名今に至りて慕はずというふことなし。まことに「人よく道を勤め、義を守るべし。名もまたこれに従ふ」といへり。日すでに午に近し。船を借りて松島に渡る。その間二里余、雄島の磯に着く。

「新版 おくのほそ道」角川ソフィア文庫より