名護屋城は豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城です。1592(文禄元)年の開戦から秀吉の死で諸大名が 撤退するまで、7年の間大陸侵攻の拠点となりました。城の面積は約17ヘクタールにおよび、当時では大坂城に次ぐ規模を誇りました。周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったとされています。現在、名護屋城跡と23箇所の陣跡が国の特別史跡に指定されています。(名護屋城博物館のHPページより)
名称 | 名護屋城 |
所在地 | 佐賀県唐津市鎮西町名護屋 |
別名 | 名護屋御旅館 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 望楼型5重7階(当時) |
築城主 | 豊臣秀吉 |
築城年 | 1591年 |
主な城主 | 豊臣氏 |
廃城年 | 1598年 |