【おくのほそ道見聞録】末の松山・塩竈 5月8日[新暦6月24日]
そ れより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。末の松山は、寺を造りて末松山といふ。末の間々皆墓原にて、翼を交はし枝を連ぬる契りの末も、つひにはかくのごときと、 悲しさもまさりて、塩竈の浦に入相の鐘を聞く。五月雨…続きを見る >
【おくのほそ道見聞録】松島 5月9日[新暦6月25日]
そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて、江の中三里、浙江の潮を湛ふ。島々の数を尽くして、欹(そばだ)つものは天を指さし、伏すものは波に葡匐…続きを見る >
【おくのほそ道見聞録】壺の碑 5月8日[新暦6月24日]
壺碑(つぼのいしぶみ)市川村多賀城にあり。 つぼの石ぶみは、高サ六尺余、横三尺ばかりか。苔を穿ちて文字幽かなり。四維国界(しゆいこくかい)の数里をしるす。「この城、神亀元年、按察使(あぜつし)鎮…続きを見る >
【おくのほそ道見聞録】白河の関 4月20日[新暦6月7日]
心もとなき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。「いかで都へ」と便り求めしもことわりなり。中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なほあ…続きを見る >
【おくのほそ道見聞録】尿前の関 5月14-17日[新暦6月30-7月3日]
南部道遙かに見やりて、岩手の里に泊まる。小黒崎・みずの小嶋を過ぎて、鳴子の湯より尿前の関にかかりて、出羽の国に越えんとす。この道旅人まれなる所なれば、関守に怪しめられて、やうやうとして関を越す。大山を…続きを見る >